【ブランドインタビュー】デニムブランド「ITONAMI」山脇兄弟が紡ぐ想いとは

デニムブランド「ITONAMI」山脇兄弟が紡ぐ想いとは

国産デニム発祥の地、岡山県倉敷市児島地区。
干拓地である児島では木綿の栽培が古くから盛んに行われ、木綿織りの技術を用いて日本独自のデニムが作られてきた。この地域は繊維のまちとしても知られており、木綿から作られる帆布の国内生産は現在約70%を占めています。
児島にはデニムやジーンズショップが集まるジーンズストリートや、ジーンズの歴史を学べる資料館などがあり、デニムやジーンズを求める多くの観光客が足を運ぶそう。
児島のジーンズは、ジーンズ発祥のアメリカや他の国々のバイヤーからも多くの支持を受け、数多くのジーンズが輸出されています。

そんな児島には、デニム産業を盛り上げたいという思いで活動している兄弟がいます。
デニムブランド「ITONAMI」の代表を務めている、兄の山脇耀平(やまわき ようへい)さんと弟の島田舜介(しまだ しゅんすけ)さん。
「デニム兄弟」として親しまれている彼らは、さまざまな事業を通じてデニムへの思いを伝え続けています。

彼らは思いを発信するために、「ITONAMI」などのアパレル事業だけではなく、児島にあるデニムをテーマにした宿泊施設「DENIM HOSTEL float」(以下、float)や飲食事業、オンラインコミュニティ「offloat(オフロート)」の運営なども行っています。

今や根強いファンが多く、彼らに会いに児島を訪れる人々も少なくないそう。
岡山県出身ではない彼らがなぜデニムに惹かれ、どのような思いで活動をしているのか、POPAP編集部は兄の山脇さんにお話を伺い、活動への思いに迫ります。


山脇さんの一日

午前8時。
山脇さんの1日は朝のコーヒー一杯から始まります。
一日のほとんどをITONAMIの運営に充てているとのことですが、午前中はひとりの時間を作り、考え事をすることが多いと言います。
昼になると弟の島田さんと一緒に食事に行き、これからの事業について話し合いをするそう。そして本格的な業務は午後から始まります。
デニム工場で素材の調達をしたり、社内でミーティングを行ったり、他のアパレル事業の運営を担当したりと、日によって業務内容はさまざまです。
夜には、floatを訪れたお客さんとコミュニケーションを取ったり、offloatの運営に関わったりすることが多く、山脇さんは、活動の中である思いを持っています。

山脇:「ピュアさを非常に大事にしています。ぼくたちの活動は、デニム職人たちの思いを届けたいという純粋な気持ちでスタートしました。その当時のピュアな心を忘れたくないと思っています。どうしても長い間活動を続けたり、関わる人が増えたりすると、ピュアな思いではない形、例えば打算的であったり、もっと目立ちたいという感情によって活動の軸がズレてしまうこともあると思います。いつもぼくたちを応援してくれる人たちは、ぼくたちがまっすぐ進んでいく姿勢を評価してくれると感じるし、無理にやりたくないことだけをやらないといけないのは嫌なので、彼らの期待に応えるためにも、やりたいと思えることができる環境は維持し続けたいと思っています。そのことを非常に大切にしています。また、ぼくたち自身の姿もありのままに発信していきたいと思っています」

floatに訪れる人々との交流を通して

デニム兄弟に会いにfloatには日々多くの人が訪れるが、その数の多さから一人ひとりとじっくりお話する時間は少なくなってしまうこともあるそう。しかし、彼らの大切な思いを持ち続けるために、彼らを訪れる一人ひとりのお客さんとのコミュニケーションがゼロになるようなことはしないと語ります。

山脇:「それを完全にゼロにしてしまうと、誰に価値を提供してるのか、誰のために活動をしているのかがどんどん見えなくなり、自分がどうしたらいいのかもわからなくなってしまいます。お客さん一人ひとりとのコミュニケーションを大切にすることで、自分の思いを忘れずにいられると考えています」

 

デニムに魅了された大学時代

兵庫県で生まれ育ち、弟の島田さんは大学進学を機に岡山県に移り住み、兄の山脇さんは茨城県の大学に進学。幼少期から島田さんは好奇心旺盛で、人々の中心にいるような性格だったと言います。中学生のころは陸上部でキャプテンを務め、周囲を引っ張る存在として活躍していました。
二人の性格から、大学進学後は自身で活動し、独立したいという思いが強かったようです。そこで、地域創生を行っている学生団体に参加し、その地域で何ができるか、自身が情熱を注げる先を常に模索していた時のこと、島田さんが出会ったのが、デニムブランドのデザイナーでした。
デザイナーに気に入られた島田さんは、デニム工場に連れていってもらうようになり、デニムが作られる工程を目の当たりにしていくうちに、デニム職人に惹かれていったと語ります。

山脇:「弟とデニム工場に足を運ぶこともありましたが、デニム一つひとつを目の前で完成させていく様子がとてもかっこいいなと思いました。ぼくたち兄弟の両親は公務員でしたが、両親が働く姿を目にする機会はありませんでした。なので、昔から『働く』というイメージがあまりなかったです。しかし、デニム職人が働いている姿を見て、手を動かして目の前のものを一つずつ形にしていく様子がとても魅力に感じました。また、実際ブランドの名前は出なかったりしますが、ぼくたちが知ってるような有名なブランドの製品がその工場で作られたり、技術や素材が採用されていることには驚きました。そこにより一層かっこよさを感じました」

山脇さんは島田さんが感じたデニムの魅力や人との繋がりを築いている姿に刺激を受け、岡山県の地場産業であるデニムに携わっていくことを決心しました。
また、都会と岡山県という地方との情報量やビジネスチャンスの少なさに大きな差を感じていた当時、地方で活躍していきたい思いもありました。また島田さんも事業を始めたいと考える学生たちにたくさん出会うことで刺激を感じるうちに、地方に住んでいる環境だからこそ挑戦できる機会や地方にしかないものに目を向け始めていました。
世間が都会を離れて場所にとらわれない働き方に憧れ、地方暮らしにスポットライトが当たり始めていた絶好の時期でもあり、彼らにとって、学生のうちに起業することに大きな焦りや葛藤はなかったと語ります。

山脇:「ぼくひとりだったら葛藤などはあったかもしれないですが、弟に対しての頼もしさがあったので、弟と一緒だったらやっていけると感じていました。当時、ぼくの周りは一般的な大学の一般的な学部に進学して、一般的な進路選択をしていく人が多かったので、ぼくがその環境にずっといたら、起業するという選択肢はなかったと思います。最初こそは勇気が必要でしたが、いざ弟と一緒に起業という新しい外の世界に飛び込んでみると、同じ選択をした人たちとたくさん出会え、今まで感じていた当たり前というのが変わっていき、あまり気にならなくなりました。
もし起業が大失敗してどうにもいかないとなれば就職することも考えていましたが、それについては軽やかに考えていました」

「思いを発信する」EVERY DENIMの活動

島田さんが大学を休学した2014年12月、二人はEVERY DENIMという名前で活動をはじめ、デニム工場の職人や経営者の思いをウェブメディアで発信していました。
当時、デニム業界に光があまり当たっていない状況にもったいなさを感じ、名前があまり知られていない工場や職人の仕事を、多くの人々に知ってもらいたいという思いからメディア運営を始めることになったと語ります。
山脇さんは茨城県に住んでいたので、定期的に岡山県に通いながらも、遠く離れた場所でもできる「思いを発信する」ことに活動の中心としていました。

山脇:「それが自分のできることの全てだと思っていました。その中で、まだ自分たちのことやデニム職人を知らない人にどういう思いで活動しているのかを知ってもらえたら嬉しいなという思いで活動していました」

活動から約1年後の2015年9月、デニム兄弟はメディアの運営に加えて、自身のデニムブランドを立ち上げ、オンライン販売や移動販売を開始させています。またその約2年後の2017年、彼らに大きな転機が訪れました。テレビメディアへの出演です。番組の制作会社の方とのつながりが出演のきっかけとなったと言います。
内容としては、地方で活躍する若者を取り上げたもので、30分間にわたって放送されました。彼らの活動が全国的に知ってもらえるようになったきっかけでした。

さらに、2018年にはデニムを広めるために彼らはキャンピングカーで日本全国を旅をしながらオンラインで商品を販売したり、経営者や自身の思いをウェブメディアを通じて発信を続けました。
旅を通じて、誰かに泊まらせてもらったり多くの人にお世話になったりする経験や、自身が実店舗を持ちたいという思いから、児島にデニムをテーマにした販売店兼宿泊施設「DENIM HOSTEL float」を構えています。

また、児島に施設を構えたことにはある思いがあったそう。

山脇:「職人の方々が暮らしてる環境を含めて、何か知ってもらえたら嬉しいなと思いました。児島はデニムの工場が集結している地域であり、ぼくたちもこのまちに通い続けました。ぼくたちの製品や思いを届けることが一つのゴールなので、どういうまちで作られているのかを知ってもらいたく、来てもらうきっかけを作るために児島にお店を構えました」

メディア運営から始まったデニム兄弟の活動は、現在ではアパレル事業だけにとどまらず、宿泊事業やコミュニティ事業にまで拡大してきました。しかし、山脇さんの根本の思いである、「デニム産業を盛り上げたい」という志は変わっていません。
彼らが活動を続けられるのは、応援し続けてくれる多くの人々の存在も大きいと言います。

山脇:「最初の頃から、職人さんやデニム工場の方々からとても期待してもらっていました。その期待に応えることで、今日まで続けることができました。この活動がぼくたちのやりたいことだけであれば、活動をやめるのは簡単だし、続けていなかったかもしれません。けれど、最初の頃から応援してくれたり、活動を楽しみにしてくれている人がとても多いので、その期待に応えたいという思いがモチベーションになり、活動をずっと続けてこられたのだと思います」

二人の描く夢とは

そんなデニム兄弟の夢は、デニム産業に対して目にみえる貢献をすることだと語ります。

山脇:「たとえば、デニム工場がなくならず次の世代も続けていけるようになるかなど、何か目に見えてそこに対してインパクトを与えられたらすごくやりがいを感じたり夢だと思います。みんなと共有したい夢としても、デニムという一つの手段を通じて、自分がいきいきと生きていけるような環境を作っていくことができたらいいなと思います。また、デニムのまち『児島』が、もっとたくさんの人々に愛されるような場所になることを願っています」

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